内裏雛の飾り方(男雛が左か、女雛が左か)には諸説あり、しばしば論争となる。斎藤良輔著「ひな人形」(1975年)によれば、それぞれに確かな拠り所があって、どちらも正しいのだという。古来、わが国のしきたりは中国に倣う事がもっぱらであるが、そもそも中国でも左右の優位性が時代によって変化したからである。しかし、室町時代あたりから男雛が左(向かって右)に定まり、これが大正時代まで続いた。ところが、昭和天皇の即位大礼(昭和3年)の御座の左右に倣ってその位置が逆転してから、その方式が今に続いているといわれる。また、地域的にみると関西では男雛を左(向かって右)に、関東では右(向かって左)に飾る場合が多いが、雛人形の大きな市場となったデパート筋が東京方式を採用したことも、現在の大勢を決した理由らしい。
Webで検索すると、色々な解説が見つかる。「阿が雄で、吽が雌」と書いてあるかと思えば、逆に「阿が雌で、吽が雄」としたところもある。阿吽と陰陽と性別を絡めた解説も見た記憶がある。(中略)
いずれにせよ、多くの人が、「狛犬は対なのだから雌雄の別がある」と考え、それを前提として説明をしようとしているところに、混乱の元があるように思う。(中略)
やはりここは、こう解釈すべきだろう。
「獅子・狛犬は霊獣であって、基本的には性を超越している。もし雌雄があるとしたら、聖なるものの守護という役割からして、伝統的にその任を担わされてきた雄と捉えるべきである」
つまり、「獅子+狛犬」という原則が失われ、獅子1対になった時に、雌雄=つがいの概念が持ち込まれたのではないだろうか。 あるいは、逆に、狛犬に雌雄を見ようとする意識が高まった結果、獅子1対の江戸唐獅子型が誕生したのかもしれない。
さて、これに関連して、面白いことがある。 江戸唐獅子型も、岡崎現代型も、玉と子を伴う場合が多く見られると書いたが、この両者では玉と子の配置が逆になるのである。
このことについては、「狛犬の分期――関東編」のところでも触れているが、江戸唐獅子型では阿像=子/吽像=玉となり、岡崎現代型では阿像=玉/吽像=子となるのである。
一体なぜ、このような逆転現象が起こったのだろうか。
子の存在が雌雄を暗示するのだとしたら、子の位置の逆転は雌雄の逆転を意味する可能性がある。
そこで、これを雛人形に絡めて考えてみた。(中略)
雛人形の左右は大正以前と昭和以後で逆転が起こっているということになるわけだが、これは何となく岡崎現代型の全国への普及時期と重なるように見える。そのため、天皇が雛人形に与えた影響が、狛犬にもおよんでいた可能性があるのではないかと考えたのだ。
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