映画に直接関連するのがこの3巻と4巻。3巻が、エンラッドの王子アレンとハイタカが旅をする話、4巻『帰還』はテルーを引き取ったテナー(と人間として暮らすハイタカ)の話。これらを読むと、映画の浅さがますますはっきりしてきます。(以下、ネタバレあるかも。)
アレンとハイタカが闘ったのはクモではなく、クモが開いてしまった扉であり(そりゃあクモとも対峙するけどそれはたいしたことじゃないと思う)、ハイタカはそこで扉を再び閉じるという重要な、そして他の誰にもできないことを成し遂げています。
アレンも、映画では影と分裂したただの坊ちゃんですが、原作のアレンは礼儀をわきまえ威厳も備えた王子です。また、アレンがおかしくなったのはゲドと旅をするうち、異常事態の根源に近づくにつれての変化であり、それにしたって分裂という形ではありません(もしかしたら、これは1巻のハイタカの話を取り込んでいるのかもしれませんが)。
この旅がアレンに大きな成長をもたらしたことは確かです。それは、映画でも描かれてるかもしれない。でも全然レベルが違う。アレンが背負っているものの大きさ、アレンが成長することで世界にもたらされたものの大きさが全く違います。映画だと後半ハイタカは縛られてるだけで、何で彼が出てきたのかよくわかんないなぁ…と思ってたのですが、原作を読むと、この旅の伴侶が大賢人でなくてはならなかった理由がよくわかります。
4巻は、映画を見てるとテルーの正体にうすうす気づいてしまうのでちょっと興醒め。ただし、テルーが竜に変身したりはしません。
ちなみに、ゲド戦記という邦題はどうなのか、という意見があります(原題は“EARTHSEA”、1巻なら“
A Wizard of Earthsea”)。ゲドってまことの名なんだから、タイトルになっちゃまずいでしょ、と。たしかに、テナーやレバンネンは世界に自分のまことの名をあかしたかもしれないが、ゲドの名は(少なくとも3巻の時点では)6人にしか知られていないと書かれていますし。
そんなわけで、現在5巻と外伝を読んでます。