重耳に従って諸国を巡った趙衰の家系を追う連作短編集。
「孟夏の太陽」…趙衰の嫡子、趙盾(ちょうとん)の物語。狐氏の邑に滞在中、趙衰が赤狄の首長の娘、叔隗(しゅくかい)を娶らされるあたりから物語は始まる。ちなみに、叔隗の妹、季隗は重耳の妻となっている。結論だけ言えば、赤狄からかっさらってきた姉妹の片方を趙衰に押しつけたわけだ。その趙衰と叔隗の間に生まれたのが盾である。その後重耳と家臣らは狐氏の邑を離れ流浪の旅に出て、9年後ようやく叔隗と盾は晋に呼ばれる。本来なら正妻になれるはずのない叔隗だが、趙衰の妻であり重耳の娘である君姫のはからいにより、叔隗が正妻に、そして趙盾は趙家の嫡子とされた。その後、趙盾は陽処父(ようしょほ)にその才能を認められ、晋を動かしていくことになる。しかし晩年、君姫の恩に報いようとしたことが、後に趙氏を滅亡の危機に立たせることになる…。
「月下の彦士(げんし)」…趙盾の嫡子、趙朔の物語。趙盾のせいで、趙氏は嫡流といえる家が4つもあるというおかしな状態になっていた。趙朔をねたむ他の趙家は、趙朔の足をひっぱるばかりでなく、屠岸賈の陰謀を歓迎し、趙朔は伐たれ、趙朔のもとを離れようとしない一族郎党も皆殺しにされ、趙朔の血胤は途絶えた。が、逃げ延びてひっそり趙朔の子を産んだ孟姫は、趙朔の友人 程嬰(ていえい)に託す。程嬰と、謎の食客 杵臼(しょきゅう)は、文字通り命を捧げてその子 趙武を屠岸賈の魔手から守り通し、15年後に趙家を再興するのである…。
「老桃残記」…趙武の孫、趙鞅(のちに趙簡子と呼ばれる人である)の物語。周王室の内訌をなんとかおさめた趙鞅。しかし、中行氏と士氏、邯鄲の趙氏が共謀して趙鞅を伐とうとしたため、趙鞅は晋陽へ逃れた。知躒(ちれき)の進言により三氏が追放され、趙鞅は晋都に戻れたが、代わりに右腕とも言える董安干(とうあんう)を失うことになった…。
温邑の行政官 尹鐸(いんたく)の話が面白い。邑の倉に食料の備蓄も武器もないのを疑問に思って尋ねた趙鞅に対し、「倉府にはいるはずの糧仗は、まさに万が一に備えてのものですが、その万一が来なければ死に財になります。ところがこれを民に貸せば、民間において活用され、一が二や三となって、殖えるのです。民が豊かになることは、この温邑が、ひいては趙家が豊かになることではありませんか」と答えたという。そして、いざ戦となったときに、満倉であった原邑からは少しの兵しか出せなかったのに対し、温邑では民が争って出征を願い出て、三千を超す兵が集まったという。「空倉は満倉にまさる」という逸話である。
また、趙鞅は礼を理解しようと努めた人であった。

国の宰相 子大叔(したいしゅく。ちなみにその前の宰相は子産である)の礼とは何かを問うと、「私が子産から聞いたことは、礼とは、天の経、地の義、民の行、であるということです」と答えた。経とは織物のたて糸のことであり、生き方の規範になるものをいう。その規範を天に求めよ、というのが「天の経」である。「地の義」とは道徳や倫理といった規範にあたるり、「民の行」とは天と地の規範を民が実行することである。天と地の規範を民に認識させ、正しく行わせるためにあるのが礼である、という。そして、「自分を制御して、礼に到達できる人を、成人とよぶ」のだそうだ。なんとも耳の痛い話である。
「隼の城」…趙鞅の息子、無恤(ぶじゅつ)の物語。趙鞅が気まぐれに抱いた下女を母に持つ無恤は、兄弟からも蔑まれてきた。ところが、趙鞅が病床で不思議な夢を見、その夢で天帝のそばにいたという男から「天帝のそばにいた子はご主君の子で、やがて代を領有するでしょう」と告げられた。その子の面差しが無恤に似ていたことから、趙鞅は人相見で名高い姑布子卿(こふしけい)を呼び、子供らを見せた。すると、その場にいた5人の子供は「いずれも将軍になりません」と言うので、しかたなく無恤を見せると、「これまことに将軍なり」と言ったという。天の声、人の声を聞いた思いの趙鞅は、最後のあがきで地の声を聞こうと6人の子らを山に送り出すが、やはり地の答えは無恤であった。趙鞅は潔く長兄の伯魯を廃嫡し、無恤を後継とした。伯魯は唯一無恤をかわいがってくれた人で、その後も無恤を支えたという。
さて、このころ晋では中行氏と士氏が滅び、知氏、趙氏、韓氏、魏氏の四卿が並び立っていたが、知氏の専横がひどく、恥を堪え忍んでいた無恤は晩年とうとう知氏と対立し、晋陽に立てこもる。知瑶の水攻めにも耐え、韓氏、魏氏を知瑶から引き離して寝返らせ、とうとう知氏を伐った。晋は趙・韓・魏の三国となり、これをもって春秋時代の終わり、すなわち戦国時代の始まりとなる。
こうやって、趙氏を軸に春秋時代を通観することによって、社稷を保つことの難しさを知り、国の興亡を知ることができる。周りの国との関係はあまり出てこないのだが、その代わり、趙という国に親しみを持つことができる作品だろう。ちなみに、無恤の七代あとが武霊王である。(そして、『楽毅』へ!)