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『翻訳語成立事情』 柳父章 (岩波新書)

 
翻訳語成立事情

普段会話では使わなくとも文字としては見慣れた単語が実は翻訳語であり、その翻訳語を編み出すための先人の苦悩と今なお残る問題をわかりやすく説明してくれる。
この本で取り上げられている言葉は「社会」「個人」「近代」「美」「恋愛」「存在」「自然」「権利」「自由」「彼、彼女」の10個である。今では当たり前のように使う言葉だけれど、我々はその意味を本当には理解しないまま使っているということを思い知らされる。そして、意味のわからないまま使うこと自体も翻訳語のひとつの役割だったりするのだ。
1982年に書かれた本だけれど、私にとっては新しい衝撃を与えてくれる一冊だった。

以下、いくつかメモ書き。

【社会】
Societyに対応するような現実は当時日本にはなく、福沢諭吉はそれを「人間交際」と訳すことで、日本の現実をもさらし出した。
日本にて権力の偏重なるは、あまねく其人間交際の中に浸潤して至らざる所なし。……爰(ここ)に男女の交際あれば男女権力の偏重あり、爰に親子の交際あれば親子権力の偏重あり、家内を出でて世間を見るも亦然らざるはなし。師弟主従、貧富貴賤、新参古参、本家末家、何れも皆其間に権力の偏重を存せり。(福沢諭吉)

翻訳語が濫用される傾向にあることについて
ことばに意味が乏しいことは、人がそれを使わない理由になるよりも、ある場合にはかえって、使う理由になる。


【個人】
日本語における漢字の持つこういう効果を、私は「カセット効果」と名づけている。カセット cassette とは小さな宝石箱のことで、中身が何かは分からなくても、人を魅惑し、惹きつけるものである。


【近代】
人がことばを、憎んだり、あこがれてたりしているとき、人はそのことばを機能として使いこなしてはいない。逆に、そのことばによって、人は支配され、人がことばに使われている。価値づけして見ている分だけ、人はことばに引きまわされている。


【自然】
学者や知識人が、ことばの意味をどう定めようと、単なる記号ならいざ知らず、現実に生きていることばは、少数者の定義で左右できるものではない。また、巌本や花袋が、意識的には nature と同じと思いながら、伝来の「自然」の意味を動かしがたかったように、ことばの意味は、使用する人の意識をも超えた事実なのである。


【自由】
翻訳語に漢字二字の字音語が多いことについて
そして、二字の字音語のうちでも、母国語にしっくりなじむことばよりは、どこか違和感のあることばの方がよい。人々が意識的にそう選ぶのではなく、いわば、日本語という一つの言語構造が、自ずからそう働いているのである。

よくわからない「自由」ということばについて熱心に賛成したり反対したりする人々について
おそらくこれは翻訳語に限らない。およそ新しく出現した事物、外から新しくやってきたものに対して、私たち人間がまず示す反応の、基本的なパターンなのであろう。


【彼、彼女】
日本語には主語がない、「彼」「彼女」は空白だったところに主格所有格を充填したのだ、という説について
それは「今まで空白になつてゐた所へ」「充填」されたのではない。一つの言語体系に「空白」はない。西欧文とつき合わせたとき、仮に西欧文をモデルとすれば、日本語の方に欠けている「空白」がある、ということになるのにすぎない。また、その後、確かに日本語が変化し、しばらくたって人々がそれに慣れたとき、ふり返ってみて、かつてそこに「空白」があった、と感じるにすぎない。

奥村恒哉による『当世書生気質』(坪内逍遙)についての考察
「彼」はある不真面目な男、「彼ら」は当時異端者扱ひされていゐた男女交際論者を指してゐて、純粋の代名詞とは言へず、紅葉初期の試みと同じく、代表される人物に伝いする好奇をともなふ軽蔑の意を強調して使用されてゐるのである。

2007年05月11日 23:34 [一般] - No Trackbacks このエントリーを含むはてなブックマーク このエントリーをはてなブックマークに追加 2804

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