昨日は、大学の先輩の前夜式(お通夜)でした。
癌だとわかって一年足らずでのことだったそうで、
我々は誰一人(もっとも親しい友人でさえ)
彼女が病気をしてからの姿を見ておらず、
遺影を見ても全く現実感がありませんでした。
実は冗談だった、と言われた方がよっぽど自然で。
一人ひとりにとってみれば、死は不公平で理不尽なものであり、
どうして彼女が34歳の若さで、愛する夫と幼い子供を残して
死ななければならなかったのか、と拳を握りしめて神に問うことを
我々は許されています、と牧師さまはおっしゃいました。
帰りに、教会のそばの刀削麺の店がおいしいと誰かが言っていました。
月がきれいな夜でした。
私のおばあちゃんが亡くなる前日、おばあちゃんがこんな事言いました。「おばあちゃんのこの体はもう使いもんにならんねん。だからちょっと次の体を探す旅に出る。だから今度会うときはきこよりもうんと年下になるはずや。おばあちゃんじゃないけど、仲良くしてや。もしかしたら、あ、これおばあちゃんやって気づくかもしれへんよ。会えるの楽しみにしような。いっぱい遊んでな」
その翌日に亡くなって、私はみんなに「おばあちゃん死んだんちゃうで。健康な体探しに行ってん。また戻ってくるよ」って言うたそうです。私はそれは覚えてないんですけど。でもちょっと本当かなーって思う。悲しいってことに変わりはないけれど、本人にとっては限界があるから。
私のおばあちゃんが亡くなる前日、おばあちゃんがこんな事言いました。「おばあちゃんのこの体はもう使いもんにならんねん。だからちょっと次の体を探す旅に出る。だから今度会うときはきこよりもうんと年下になるはずや。おばあちゃんじゃないけど、仲良くしてや。もしかしたら、あ、これおばあちゃんやって気づくかもしれへんよ。会えるの楽しみにしような。いっぱい遊んでな」
その翌日に亡くなって、私はみんなに「おばあちゃん死んだんちゃうで。健康な体探しに行ってん。また戻ってくるよ」って言うたそうです。私はそれは覚えてないんですけど。でもちょっと本当かなーって思う。悲しいってことに変わりはないけれど、本人にとっては限界があるから。