(前略) 科学革命が起きた時代は、「“オープンな科学”という概念が出現し、自然界に関する知識の所有権がなくなり、科学的進歩や発見が公然の知識となった時代でもある。(中略)
自らの得た知見を自由に出版し、伝達するというオープンな伝統は、欧米の科学界の成功に不可欠だった。科学者個人の自己利益に基づいた行動が集合的なメリットに結びつくようになったのは、このオープンな枠組みのおかげだ。(中略)
科学界が今日直面する課題は、科学的研究の商業化が進む中でこれまでのような成功が維持できるか、ということである。何世紀にもわたって科学と商業は密接に関わってきた。だが、情報を広範に行き渡らせたくない私企業が科学的研究に資金を提供する比率が高まるにつれ、科学的な情報交換の本質も変わってしまう懸念はある。
有名な科学者がほかの科学者と共同研究をすると、功績は有名な人に実際以上に多めに帰せられる傾向がある。二人の科学者がそれぞれ独自に同じ発見をした場合、だいたい有名なほうの科学者の功績として認められるのだ。
マートンはこれを「マタイ効果」と呼ぶ。聖書の「マタイによる福音書」の「おおよそ、持っている人は与えられて、いよいよ豊かになるが、持っていない人は、持っている者までも取り上げられてるであろう」という一節から名づけたのである。富める者はますます富み、貧しき者はますます貧しく、というわけだ。
陪審員の研究をしている社会科学者は、陪審員が採るアプローチを大きく二つに分類することが多い。証拠ベースの陪審員は、だいたいその事件についてある程度議論をし、証拠を吟味し、ほかの選択肢を充分に検討してからでないと投票しない。評決ベースの陪審員は、対照的に自分たちのミッションはできるだけ速やかに、断固として結論に至ることだと考える。議論が行われる前に投票し、その後の議論はもっぱら規定の結論に同意しない陪審員を同意させることに費やされる。
航空兵の研究が示唆するように、自分がリーダーであると思い込んでいる人は自分の知識を過大評価し、まったく根拠もないのに専門家として自信に満ちあふれた雰囲気を醸し出す。さらに言えば、だいたいにおいて過激派の方が穏健派より自分の正しさを確信しているし、頑固なので、議論を重ねると集団全体は極端な方向に引っ張られがちだ。
集合的な意志決定は合意形成といっしょくたに考えられることが多いが、集団の知恵を活用する上で合意は本来的には必要ない。合意形成に主眼を置くと、誰かを刺激することもない代わりに誰の感情も害さないような、どうでもいい最大公約数的なソリューションになりやすい。
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